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真心如清澈水鏡

 

歌唱(Vocal):佳館杏ノ助 Twitter@tokyounosuke

作詞(lyrics):綾部ふゆ Twitter@fuyu_ayabe

作編曲(Music):Calculators Twitter@ken_g_age

絵(Illust):ako様 Twitter@ako208

翻訳(English translator):Justin M. Smith

動画(video production):萬月邸

 

慶応四年四月。江戸城無血開城により、新政府軍と旧幕府軍の戦いである戊辰戦争は、北陸・東北へと舞台を移した。

慶應四年四月。在江戶城無血開城後,新政府軍與舊幕府軍的戰役舞台移至了北陸、東北地帶。

翌月には、新政府軍の措置によって莫大な数の幕臣たちが路頭に迷うこととなり、

次月,由於新政府的政策導致龐大數量的幕臣失業流落街頭,

事態を憂えた海軍副総裁の榎本武揚は、蝦夷地に旧幕臣を移住させることを決め、北方の整備と開拓にあたらせようと策を講じた。

憂心於此的海軍副總裁榎本武揚決定,將舊幕臣移駐至蝦夷地帶,並提倡加強北方的整備與開拓的策略。

元新撰組副長・土方歳三は幕臣の一人として戦いに参加。

原新撰組副組長­──土方歲三以幕臣的身分參戰。

以降は各地を転戦しながら部隊を勝利へと導くが、旧幕府軍としての戦況は厳しかった。

而後他在各地奮戰,並帶領部隊取得勝利,然而對舊幕府軍來說,全體的戰況卻很不樂觀。

明治二年五月十一日、ついに新政府軍の総攻撃が開始される。

明治二年五月十一日,新政府軍的總攻擊終於還是開始了。

これにより、元新撰組隊士である島田魁らが守備していた弁天台場が新政府軍に包囲され、部隊が孤立。

不久後,原新撰組隊員──島田魁和土方一同防守的弁天台場被新政府軍給包圍,部隊亦被孤立。

土方は籠城戦を厭い、わずかな兵を率いて台場方面へと出陣した。

厭煩了圍城戰的土方,僅率領著些許的兵力即向台場方向出戰。

 

satsuki no sora ni nagaruru toyohatagumo wo me ni yakitsuketa

{皐月|さつき}の{空|そら}に{流|なが}るる {豊旗雲|とよはたぐも}を{目|め}に{焼|や}き{付|つ}けた

五月空中如戰旗般飄揚的雲 吾將其烙印於眼裡

kanshou kaikon sae mo hekiraku ni mazeru youni

{感傷|かんしょう}、{悔恨|かいこん}さえも {碧落|へきらく}に{混|ま}ぜるように

願縈繞心頭的感傷悔恨 都溶解於廣闊碧落

soredemo iku nodesu ne to hazure no oto ga mukuna koe ni naru

「それでも{行|い}くのですね」と {葉擦|はず}れの{音|おと}が{無垢|むく}な{声|こえ}になる

「即使如此,汝還是要上陣啊」 樹葉摩擦的清澈聲響在耳邊低語

todomaru riyuu nado nai amata no mono no inochi chirasedo

とどまる{理由|りゆう}など{無|な}い {数多|あまた}の{者|もの}の{命|いのち}、{散|ち}らせど

毫無停下腳步的理由 縱使吾將使眾多生命 遷化英魂

 

kouru kokoro ya ureuru omoi wa nan no tameni aru

{恋|こ}うる{心|こころ}や {憂|うれ}うる{思|おも}いは {何|なん}の{為|ため}にある

蕩漾著思念的心 糾結胸懷的愁緒 是為了什麼而存在

susume susume to yaenami ga ii kita no kaze mo waga senaka wo osu

{進|すす}め{進|すす}めと{八重波|やえなみ}が{云|い}い {北|きた}の{風|かぜ}も{我|わ}が{背中|せなか}を{押|お}す

「前進吧,前進吧」無止盡的海浪嘶吼著 北方的風亦呼嘯推著吾向前

kiyoki minamo ga asasame wo uke nibiiro ni hikaru

{清|きよ}き{水面|みなも}が{朝雨|あささめ}を{受|う}け {鈍色|にびいろ}に{光|ひか}る

朝雨敲散清澈水面 漣漪中泛起薄墨色光芒

taoreshi hata oreyuku hata wo tsuka no shirushi nishite

{斃|たお}れし{旗|はた}、{折|お}れゆく{旗|はた}を {塚|つか}の{標|しるし}にして

滿地傾覆折毀之旗 就作為吾墳之碑

usurai no kokoro de yuku

{薄氷|うすらい}の{心|こころ}で{往|ゆ}く

帶著如履薄冰般覺悟 出征

 

土方と故郷を共にする元新撰組局長・近藤勇は慶応四年四月に新政府軍に降伏。同月二十五日に板橋にて処刑された。

和土方同鄉的原新撰組局長──近藤勇在慶應四年四月向新政府軍投降。同月二十五日於板橋被處死。

この時、土方の義兄であり近藤の義兄弟である佐藤彦五郎が、近藤の死を悼む句を残している。

此時是土方的義兄也是近藤的義兄弟的佐藤彦五郎,爾後留下了這麼一句悼念近藤的死的詩句:

鬼百合や 花なき夏を 散りいそく

豔麗鬼百合 夏日花季仍未至 卻為何凋零

 

motometeyamanu keshiki wo katariai nagara sono toki wo matsu

{求|もと}めてやまぬ{景色|けしき}を {語|かた}り{合|あ}いながら その{時|とき}を{待|ま}つ

一同描繪彼此始終在追求的未來光景 並靜候佳機

mamoriiru mono no tame nara iki no o ni tatakau noda to

「{守|まも}り{居|い}る{者|もの}の{為|ため}なら、{息|いき}の{緒|お}に{戦|たたか}うのだ」と

「若是為了重要的人,吾等將戰至最後一口氣」

utsumuite kuzushiizuru wa asu wo mo shirenu mi no saihaitachi

{俯|うつむ}いて{崩|くず}し{出|い}ずるは {明日|あす}をも{知|し}れぬ{身|み}の{儕輩達|さいはいたち}

低頭斷續說出如此字句的同袍們 卻連明日的命運都無法掌握

yokaze ni kata wo kumarete oniyuri ga saku

{夜風|よかぜ}に{肩|かた}を{組|く}まれて、{鬼百合|おにゆり}が{咲|さ}く

夜風輕搭著肩 耳畔隱約傳來

koe ga kikoeru

{声|こえ}が{聞|き}こえる

鬼百合綻放之聲

kono koe koso ga waga michishirube

この{声|こえ}こそが、{我|わ}が{道標|みちしるべ}

此聲正乃 吾之路標

 

tatoe kabane wo ezo no shimane ni sarasu toshitemo

たとえ{屍|かばね}を {蝦夷|えぞ}の{島根|しまね}に {晒|さら}すとしても

縱使吾亡骸 將於蝦夷島上 曝屍荒野

azuma no kimi no tameni ima tsuka wo nigiri tokinokoe wo age

{東|あずま}の{君|きみ}の{為|ため}に{今|いま}、{柄|つか}を{握|にぎ}り{鬨|とき}の{声|こえ}を{上|あ}げ

為了東方之君 吾今仍將緊握刀柄 吶喊廝殺怒吼

tsuyu no inochi ga kieyuku toki no munashisa wo idaki

{露|つゆ}の{命|いのち}が{消|き}えゆく{時|とき}の {虚|むな}しさを{抱|いだ}き

緊擁著如露珠般生命 消逝時的空虛

ikiyo ikiyo to iu hakujitsu no hikari wo oshikoroshite

{生|い}きよ{生|い}きよと{云|い}う{白日|はくじつ}の{光|ひかり}を{押|お}し{殺|ころ}して

於掌心捏碎高喊「活下去,活下去」的白日光華

zangetsu ni naru

{残月|ざんげつ}になる

吾將化為晝裡殘月

 

kouru kokoro ya ureuru omoi wa nan no tameni aru

{恋|こ}うる{心|こころ}や {憂|うれ}うる{思|おも}いは {何|なん}の{為|ため}にある

蕩漾著思念的心 糾結胸懷的愁緒 是為了什麼而存在

susume susume to yaenami ga ii kita no kaze mo waga senaka wo osu

{進|すす}め{進|すす}めと{八重波|やえなみ}が{云|い}い {北|きた}の{風|かぜ}も{我|わ}が{背中|せなか}を{押|お}す

「前進吧,前進吧」無止盡的海浪嘶吼著 北方的風亦呼嘯推著吾向前

kiyoki minamo ga asasame wo uke nibiiro ni hikaru

{清|きよ}き{水面|みなも}が{朝雨|あささめ}を{受|う}け {鈍色|にびいろ}に{光|ひか}る

朝雨敲散清澈水面 漣漪中泛起薄墨色光芒

taoreshi hata oreyuku hata wo tsuka no shirushi nishite

{斃|たお}れし{旗|はた}、{折|お}れゆく{旗|はた}を {塚|つか}の{標|しるし}にして

滿地傾覆折毀之旗 就作為眾墳之碑

usurai no kokoro de yuku

{薄氷|うすらい}の{心|こころ}で{往|ゆ}く

帶著如履薄冰般覺悟 出征

 

弁天台場へと向かった土方は一本木関門を守備し、七重浜より攻め来る新政府軍に応戦。馬上から指揮を執り鬼のごとく戦うが、銃弾に腹部を貫かれて絶命。

奔向弁天台場的土方把守著一本木關門,與自七重濱攻來的新政府軍交戰。雖然他於馬上指揮著軍隊並似鬼神般地奮戰,仍舊被子彈射穿腹部而身亡。

土方の指揮によって勢いを盛り返していた兵士達は、土方の死の直後に総崩れになった。

在土方指揮下勢如破竹的士兵,就在土方死後兵敗如山倒了。

その後、旧幕府軍は、五稜郭の開城と共に降伏することを余儀なくされ、同月十八日に戊辰戦争は終結した。

而後,舊幕府軍不得不開五稜郭投降,而戊辰戰爭也在同月十八日結束。

それは同時に、武士が生きた“江戸”という時代の終わりをも意味し、“明治”という、新たな時代の幕が確かに上がった瞬間でもあった。

於此同時,這也意味著武士們生存的「江戶」時代已告一段落,而稱為「明治」的新時代正迎來其拉開序幕的一瞬間。

 

差し向ふ心は清き水かがみ 土方歳三

一往無前的 真心如清澈水鏡 無一點塵埃 -土方歲三

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